2016年09月12日

永井文明さんのこと忘れられません

しょう子さんとその後電話で話していたら永井文明さんのことを鮮明に記憶していることが分かり話が盛り上った。永井さんに絵を書いてもらったことが一番印象に残っているとのこと。頭脳明晰で灘中、灘校、京都大学というえりーとコース育ちなのに吃音障害のために希望の進路に進めず、悩みの末に同じ重い障害を背負わせられた水俣の患者さんたちのところに行ったことが人生の転機になったひとである。チッソ水俣工場の入り口で1年8か月も座り込みを続けその後神戸に帰り、当園で子どもたちと絵を書いたりして過ごしてくれた。
 彼の絵のタッチは暖かくユーモラスな味のある絵で独特である。今は亡くなられた灘中時代の恩師の橋本先生の「清少納言」などの古文解説書に共著としてそのイラストが載せられている。しょう子さんはこれらの書籍を買われてもいるとのこと。自分の子どもに泥遊びができるような保育園を探している彼女の思いに共感するとともに永井さんと今夜は飲み屋に行きたくなった電話であった。


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2016年09月02日

26 26ぶりに子供を乗せて須磨より来てくれた晶子ちゃん 26年ぶりに子供を自転車に乗せて来てくれた晶子ちゃん

夕方近く若い親子が自転車で保育園の入り口に入ると決めた姿勢でもなく立っていたのでふと見ると「S子です!わかりますか?」と言われ驚いて顔を見ると幼い時の顔がそのまま母親の顔になっているだけで驚いて「どうしたの」と聞くと「ちびくろってこの辺かな?」と思いつつ須磨から来たという。卒園後大阪に引っ越したから当園のお祭りである運動会や夕涼み会にも参加しなかったから無縁の26年間が過ぎてきて馴染みの保育士は私達を除いてはひとりだけ。とりあえず2階に上がり積もる話に花が咲く。ところでなんで急に来たのかというとわが子の保育所探し、あちこち行ったけど学校のような雰囲気で、泥遊びに明け暮れたちびくろが懐かしく来てくれたという。とてもうれしい話しだが考えさせられる話しである。
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2016年08月23日

住吉川の川遊びはまるで水中天国

19日に住吉川に恒例の川遊びに卒園生26人と在園児28名を連れて大いに楽しんできた。
去年は天気が悪く仕方なく水族園にいったが、蒸し暑くて閉口した。一昨年は雨が降ってきて、30分で引き上げた。だから本当に今年は夢中になって子供たちは、川底にもぐり小魚を追いかけた。小学生たちはさすがに水中メガネと手ごろな網を用意していて着いたら直ぐに潜り、素早く泳ぐ小魚を追いかけては歓声を挙げていた。在園児でもメガネと網を手にしてなんと30分も潜りぱなしだった子もいた。
 昔保育園を始めるとき保育園本体を船にして毎日あちこちのきれいな海に、子供を連れていくことを夢想した。少年の時代まだ寒い3月ごろから明石海岸で海に潜り、まるで熱帯魚のような珍しい魚たちに出会っていた経験がそう夢想させるのだろうか。子供たちにとって今日は水中天国のような一日であった。
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2016年08月17日

仁川でのキャンプにて

黄金の光が川底から反射する風景はこどもたちに何を残すだろうか?
子供たちが小魚を追いかけたり、背丈より少し高い滝から次々に飛び込んでいるのを川辺に座りながら思いにふけっていた。すると不思議に黙示録の命の川のイメージが浮かんできた。その川は天の都の中央から流れていて、その岸には12種に実を結ぶ命の樹があり毎月実を結び、その樹の葉が諸国民を癒すと記されている。資本主義が終焉し、グローバリズムが経済格差を産むだけの暗い世相。成長しなくなって法律で保護されている生活保護者や障碍者につらく当たったり、公務員や既得権者を攻撃する論調が受ける時代に子供や若者、女性をどう守るべきか。平田オリザ氏の「下り坂をそろそろと下る」の内容に共感する。経済が成長していた時代、その利益にあずかれない業種や地方を包摂していた日本の社会がそれをつづけられてなくなってしまったことからくる他者への攻撃的雰囲気が濃厚な今の危険な我が国だが「包摂」をいかにすべきかを考えさせる。
世界の終末は色々の紆余曲折を経て命の川のほとりの樹のもとに到ると黙示録は示している。それができるのはやはりこのこどもたちではないかと思う。
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2015年05月18日

経済の活性化は何のため。都構想に思う

経済の活性化の本当の目的は
 大阪の都構想は否決されたが、一体その目的は二重行政の解消や、大阪の地盤沈下を食い止め、活力ある大阪の復活が叫ばれていたが、それでもわからないことがある。二重行政の解消は無駄を省くためで、その無駄を省けば200億円ぐらいのお金が有効に使えるとのことであったが、疑問は二重行政解消のために膨大なコストなくしてはできないと思うのである。新聞を読んで知ったが都構想案作成のために13年度からすでに35億円が使用されたという。もし賛成票が多く実際に都構想が実施されたら、もっと膨大な費用がかかったと想定される。住民票や市税や医療や介護に関するシステム変更にかかるコストは馬鹿にならないだろう。あらゆる今までの書類の保管と廃棄にかかる経費と人事異動、地名変更にかかるあらゆる表示の変更、素人が考えてもそれが一定の経済効果を皮肉にももたらすだろう。だから二重行政の解消に行き着くまでに200億以上の経費がかかるかもしれない。
 問題はそれらの経費をかけてすまーとな大阪都ができて無駄を解消できたとして一体何をするのかということが抜け落ちている。「大阪の活性化」というと皆納得してしまうのがどうもわからない。今まで言われてきた「行政改革」「議員人数の削減」はいわば「節約」の発想、かと思えば「規制緩和」による市場経済の活性化。手法は違うがいわゆる「経済の活性化」
 今の時代いくらモノを作っても売れない。お金がないからでなく、ある程度のものはすでに行き渡っていててむしろあふれかえって、捨てて素敵な生活をしようという発想の「本」が売れている時代である。いくらデフレ脱却を叫んで「異次元緩和」してお金をじやぶじやぶ印刷してもそのお金は銀行に眠っているではないか。
 ましてこれからは急速な「人口縮小社会」が到来して、空きマンションが目立ち、あちこちの市場が姿を消し、行きつけの喫茶店弊店がある日突然「閉店」の看板がかかる。
 実は昨日用事で大阪に行き賛成と反対の宣伝車が行き交う中、大阪駅に急ぐタクシーの運転手さんと意見を交わしたら、互いに意見が違った。それで上記の持論を述べたらその運転手から「どうすればいいでしょうね」いわれ口ぐもっているとその方が「子どもに投資すれば」といわれ意気投合してしまった。すぐには結果は出ないが保育料をゼロにしたり、若い夫婦の家賃補助をしたり、小学校の低学年の複数担任制を実施したり、とにかく子どもと若夫婦に投資して10年20年見守れば必ずよい結果が出るはずである。1年や2年で経済の好循環を出そうとあせることは禁物である。国家は株式会社ではないのだからと思うが。

























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2015年01月15日

子どもの質問

去年の秋に入園してきた4歳の男の子。他の幼稚園で障害児の認定をしてほしいとしきりと言われ親は嫌気がさしてこちらにかわって来た。どこが障害とその園が考えたのか?不思議でならない。きらきらした眼をしている。横で昼食をしていたら質問をしてきた。「ねえ、ねえなんで男せんせいはごはんの前にこうして目をつぶるの?」と私の食事前のしぐさを真似をする。「あのね、ごはんを下さった神様にお礼を言うんだけど、目を開けたままだと本当にありがとう!という気にならないからだよ」と答えると「うん、わかったよ」と嬉しそう。
 ところが正月が過ぎてまた近くで昼食をしているとまた尋ねてきた。「ねえねえ、なんで目をつぶってこうするの?」それで前よりも丁寧にこう説明した。「あのね、人間はねお米を作ったり、野菜を育てたりはできるけども、光や、水や、土がなければお米などはできないでしょう、その光や水や土を作られたのは神様でしょう、だから神様ありがとうと言うんだよ」とすこし理屈ぽく説明するとなんと「わかった!」と明るい顔で返事を返してきた。私は普段保育園児にクリスマス以外はキリスト今日の話しはしないでいる。 もう40年も保育園をやってきてこのような質問をされたのは今回初めてである。
 こどもが大人より深く疑問を持ちつづけることはしばしばありうるが久しぶりに深い感動を覚えた。
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2013年10月20日

灰色の未来の予感を口にする高校生

2ヶ月ぶりにバスに乗った時のこと。ある高校生が友人に語るつぶやきを耳にしたが、驚きと共に、今の子どもや青年たちの灰色の心情が吐露されていて、心の底に沈殿している。高校生活がやがて終わり就職してフツウの生活が始まるだろう。小学校時代が好きに過ごせて、よく食べた日々だったこと。それに比べ中高の生活が足早に過ぎようとしているが、未来に夢が感じられない。極め付きが「来世に行き、ツキのある現世に生まれ替わってくるしかないよな!」という主旨を、ぼやくように、他人に聞こえるように言っていた。小学校時代がこの青年にとってよかったことが、せめてもの救いであるが。
 丁度、宮崎駿と半藤一利の「腰抜け愛国談義」に「この国の人的資源がやせ細っていく」というお二人の嘆きのくだりが心に残っていたので、まるで天啓のような青年の声だったように感ずる。
 保育園を始めて40年。お陰で二世代目の親たちが来てくれる。保育園の目標に共感した親たちが遠くからでも来てくれる。有難いことである。「子どもに自由を!」「野原を返せ!」「安全な食べ物を!」「障がいのあるこどもと共に!」「原発やめよう!」。達成できない大きな目標だが多くの親や市民の人たちと共に叫び続け、一歩でも半歩でも前にすすむしかない。僕たちの世代で叶わなかったことを次代に引き継いでもらいたい。
 そのためには子どもたちが巣立っていく小学校はまだ良いとして、中学校や高校には問題がありすぎる。まず中学校はクラスを20人ぐらいに減らし、子どもたちの魂の声に耳が傾けられるように、最大の愛とお金をかけて欲しい。高校は受験のためのあり方を早急に改めるべきである。15歳16歳は哲学的思索が出来るし、知識の断片としての歴史なんて一刻も早くやめて、科学や宇宙物理の基礎を学べば、今の地球に対する人間の行為がいかに愚かであるかが分り、「来世」などのうつつをぼやいている暇等無いことが分るだろうに。
 政治家や企業関係者がいつまで「経済成長」という過去の成功体験を土台に一度失敗したことを、またもややろうとしている。だが40年後日本の人口は一億人前後に縮小し、世界的に石油や資源は枯渇する。今、「コンクリート」に代表される産業や開発になけなしのお金をかけるより、子どもや青年に最大の愛とお金を注ぎこんで欲しい!20~30年後の日本とアジアを取り巻く環境は激変しているだろう!
 宮崎駿は「いずれ中国の共産党政権は崩壊すると思っている。」そして「大混乱時代になると思う」と言っている。中国の混乱は日本の経済を直撃するだろう。一方日本は原発問題一つをとっても20年まえの不良債権処理問題と同じ深刻な問題を抱えている。

 腹の据わった政治家や原子力技術者集団がいなくては日本はすくわれない。目先の儲けに踊っている暇等はもはや無いところまで来ている。
posted by ちびくろ保育園 at 13:54| 日記 | 更新情報をチェックする

2013年08月08日

トンボは人の子の無意識に働きかけている?


オニヤンマが人間を見降ろすかのように空高くで飛ぶ。

塩辛トンボはせわしく羽を動かして水辺に尾っぽを垂れる。

黒の糸トンボは小川の草の葉に羽を休ませ
華麗さを誇る美少女のようだ。


男の子である私はいつもトンボにあこがれていたのか、
単に衝動的に魅せられていたのか定かではないが、
トンボが飛ぶことに快感を感ずる無意識の作用が
少年時代の私の夢にひそやかに及ぼしてきたのではないかとフト思う。

昆虫はなんと偉大な無意識の教師であることか!

保育園にフト現れた塩辛トンボに出会って思った。
posted by ちびくろ保育園 at 15:15| 日記 | 更新情報をチェックする

2013年07月16日

今年の夕涼み会


本当に、この狭い保育園に300人ほどの
子どもや、若者や、大人たちが夕方の4時間くらい
よく集まってくれるものだと思う。


有難いことである。


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ずんずん育って変わっていく子供たち


面構えが、すっかり、球児になった兄弟。

今年3月までは在園児だったのに、急に少女ぽっく
なった女の子たちが園の入り口に集まる
たびごとにあがる保母たちの歓声!


1年に一度の再会であるかのように・・・
実際は10月の運動会での出会いもあるのだが、

なんだろうこのトキメキは!


いつも、開場4時半の3時間も前からやってきてずーと
門の前で中をのぞき続ける子たち


この夕方の4時間ばかりの夕涼み会は盆踊り、こどもの夜店、
お化け屋敷ならぬ「おばけ芝居」、花火という一大興業なのである。


企画している方も、参加する側も35年間、この日のために
子供も職員もこの日を待ちわび準備にいそしむ

それは面白いったらありゃしない。


カードを入り口で1枚手にすればオモチャや本が
買えて、くじ引きが出来る。


子供たちが作った面白い紙の人形が買える。


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調理室が用意してくれた枝豆、ウィンナーやジュースや
アイスクリームを口にしてはまた、好きなコーナーをまわる。


そして、この頃とんと見かけなくなったお化け屋敷で
キモを冷やした後は花火が待っている。


わずか4時間程の間に凝縮して行われる光と闇の饗宴が
子どもたちにもたらせているものとはどういうものであろうか?


2歳のことき君が前日熱があるのに
「踊りだけは出席して、したいらしいです」と母親が言っていたが
その通り、彼は母親に連れられて出てきていた。

熱は下がっていたけど雰囲気に圧倒されて
母親にしがみついていただけなのだが、
家では「ソーラン節などをよく歌っています」
とのこと。

歌や踊りの好きな子が育っていることに
時代は変わってきているんだと感慨に
ふけったものである。

posted by ちびくろ保育園 at 12:16| 日記 | 更新情報をチェックする

2013年07月13日

無形中の無形

梅雨明け。

毎年凄い音量で鳴くセミの声が遠くでしか聞けず淋しいと
思っていて保育園に来たら、虫かごの中で大音量でなく
クマゼミを、子どもたちが取り巻いていた。

なんと、クマゼミが大音量で鳴く度に、子どもたちがこれまた
大声で「うるさーい、ウルサイ」とセミと子どもの大合唱ときた。

事務室に上がって、しばらくして降りて来たら、父親にセミを
とってもらって大満足だった雄太君が大泣きしている。

よく聞いてみると他の子がセミが可哀想だから
放してやったらと進言。

すると、他の子もそうだ、そうだということで雄太君はそのセミを
放してやると、そのセミは庭の楠にしばらくはとまっていたが、
やがて楠から飛び立ってしまって、それで残念がって大泣きしたとのことである。


幼児期の教育の重要性を明治初期に既に唱えていた関信三は、
幼児期の教育は「無形中の無形」であるとして形の見えにくい
ものほど、益も害もはなはだしいと訴えた。

雄太君が周りの友達に「はなしてやろう」との誘いに意識としては
素直に応えたが、セミが去ってしまった後に急激に襲った悲しみに
大泣きしている姿が、誠に関信三の言う「無形中の無形」なるものが
溢れる程に育っていることに感動した朝だった。

7月11日
posted by ちびくろ保育園 at 01:20| 日記 | 更新情報をチェックする