このような選択をされるようになった転機は1993年のバブル崩壊。人より早く昇進していたため右肩下がりの業績がどうにもならず苦しむ。「現場から人が減らされ、会議が増え、書類が増え、雑務が増え」そしてノイローゼではと懸念される。これは今のコロナウイルスで起こっている現象に似ている。正体の見えない不安に人々がとらわれる。医療現場などは想像できない苦しみに直面している。高坂さん自身は「電車が来ると、飛び込んだら楽になるかも」と何度も思われたという。私たち福祉の現場も人が減り、会議が増え、書類が増え、雑務が増えている。だけど医療現場の苦悩とは違う。病院はコロナを抱えた患者と対面している。その苦悩はどんなに大変か。我々はその様な現場にいる方々を支える使命があるはずである。
2020年04月14日
次の時代を考える
東京都心から離れた住宅地でひっそりとオーガニックなバーを週に4日だけ開き休みは千葉県のある市で無農薬でコメと大豆を育て自給しておられる高坂勝という方の「次の時代を、先に生きる」という本を読んで少々驚いた。「16年前にサラリーマンを辞めた時点から比べて収入は半分だが当時より遥かに不安がない」「自給しているので、<食って行ける>。安心で新鮮で美味しいものを食べて、自由な時間を適度に保ち、体動く限り何歳までも程よく働く」と。やはり自給するということは大した心境の変化をもたらすものだと思う。「ナリワイのバーは必要以上に儲けけない」がポリシー。
このような選択をされるようになった転機は1993年のバブル崩壊。人より早く昇進していたため右肩下がりの業績がどうにもならず苦しむ。「現場から人が減らされ、会議が増え、書類が増え、雑務が増え」そしてノイローゼではと懸念される。これは今のコロナウイルスで起こっている現象に似ている。正体の見えない不安に人々がとらわれる。医療現場などは想像できない苦しみに直面している。高坂さん自身は「電車が来ると、飛び込んだら楽になるかも」と何度も思われたという。私たち福祉の現場も人が減り、会議が増え、書類が増え、雑務が増えている。だけど医療現場の苦悩とは違う。病院はコロナを抱えた患者と対面している。その苦悩はどんなに大変か。我々はその様な現場にいる方々を支える使命があるはずである。
このような選択をされるようになった転機は1993年のバブル崩壊。人より早く昇進していたため右肩下がりの業績がどうにもならず苦しむ。「現場から人が減らされ、会議が増え、書類が増え、雑務が増え」そしてノイローゼではと懸念される。これは今のコロナウイルスで起こっている現象に似ている。正体の見えない不安に人々がとらわれる。医療現場などは想像できない苦しみに直面している。高坂さん自身は「電車が来ると、飛び込んだら楽になるかも」と何度も思われたという。私たち福祉の現場も人が減り、会議が増え、書類が増え、雑務が増えている。だけど医療現場の苦悩とは違う。病院はコロナを抱えた患者と対面している。その苦悩はどんなに大変か。我々はその様な現場にいる方々を支える使命があるはずである。
posted by ちびくろ保育園 at 22:40| 日記
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2020年04月11日
コロナウイルスの広がりの中で思うこと
毎日保育園の入り口で職員が保護者とその子供に消毒するために立ってくれている。私ともう一人の職員で全館を消毒してまわる。
家に帰れば丁寧に石鹸で手洗いをし、うがいをし、家の中のあちこちを消毒して回る。テレビは感染状況を刻々と報道しているのを見て大事な注意事項を印刷し朝入り口に掲示する。いつまでこのような緊張を続けるのか。すでに家庭保育をしてくれている保護者も結構いる。ありがたいことである。昨日緊急事態宣言が出たので保護者に3つの選択肢を示してくださいと用紙を配布した。1、仕事の都合で休めない。2.休める。3。できる限り休むがせめて1~3日かは登園したい。今日は土曜日園児は3名のみ。普段の4分の1程度、ありがたい。
保育園は医療従事者、介護、学童なの仕事に就く保護者の子どもたちや障がいのある子ども達の遊びと生活の砦。しっかりと守りたいものである。
ところでコロナウイルスは沢山の気の毒な死者をだしているし、医療に携わる従事者の過酷な日々が聞こえてくるだけにコロナが伝えている警告に耳を傾け、人類が立ち止まるべき刻に来ているのではと思う。例えばインバウンドあてにした経済感覚。その往来のために要する航空機がばらまく二酸化炭素の排出や過剰な商品の生産や物流。あくなき人間の欲望と便利さを追求する果てにグリーランドの氷河が急激に溶け始めている。南極と北極の氷が全部解ければ海水面が1~2メートル上昇するらしい。果たして日本の都市は生き残れるのか。スエーデンの16歳の少女ぐれたさんの叫びに我々大人は真剣に行動しているのだろうか?と思う日々である。
家に帰れば丁寧に石鹸で手洗いをし、うがいをし、家の中のあちこちを消毒して回る。テレビは感染状況を刻々と報道しているのを見て大事な注意事項を印刷し朝入り口に掲示する。いつまでこのような緊張を続けるのか。すでに家庭保育をしてくれている保護者も結構いる。ありがたいことである。昨日緊急事態宣言が出たので保護者に3つの選択肢を示してくださいと用紙を配布した。1、仕事の都合で休めない。2.休める。3。できる限り休むがせめて1~3日かは登園したい。今日は土曜日園児は3名のみ。普段の4分の1程度、ありがたい。
保育園は医療従事者、介護、学童なの仕事に就く保護者の子どもたちや障がいのある子ども達の遊びと生活の砦。しっかりと守りたいものである。
ところでコロナウイルスは沢山の気の毒な死者をだしているし、医療に携わる従事者の過酷な日々が聞こえてくるだけにコロナが伝えている警告に耳を傾け、人類が立ち止まるべき刻に来ているのではと思う。例えばインバウンドあてにした経済感覚。その往来のために要する航空機がばらまく二酸化炭素の排出や過剰な商品の生産や物流。あくなき人間の欲望と便利さを追求する果てにグリーランドの氷河が急激に溶け始めている。南極と北極の氷が全部解ければ海水面が1~2メートル上昇するらしい。果たして日本の都市は生き残れるのか。スエーデンの16歳の少女ぐれたさんの叫びに我々大人は真剣に行動しているのだろうか?と思う日々である。
posted by ちびくろ保育園 at 15:28| 日記
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